
日本は無宗教の国なので宗教に関心のない人がほとんどなので仏教を否定されても怒る人は少ないと思います。
ですが、厳格なイスラム教ではその正反対です。
熱心に信仰している宗教を侮辱されて事件になることがあり、今回はその中のひとつ「悪魔の詩訳者殺人事件」を紹介します。
悪魔の詩訳者殺人事件とは?
1991年7月11日に発生したイスラム批判によって日本人が殺害された事件です。
あまりイスラムと関わりのない日本人がなぜ殺されたのか。
それはイギリスの作家サルマン・ラシュディが書いた「悪魔の詩:あくまのうた」という小説が原因になっています。
内容はというと、ロンドン行きのジャンボジェット機が墜落し2人のインド人イスラム教徒が助かったのだが、この2人は変貌し、1人は天使にもう1人は悪魔になり時空を超えて夢の世界をさまようというもの。

画像:Wikipedia
サルマン・ラシュディ本人の画像です。
ごく普通の小説のようですが、何が問題だったのか。
イスラム教の予言者ムハンマドの12人の妻と同名の娼婦(しょうふ:性的サービスを行う女性)を登場させたことがイスラムに対しての冒涜であるとのこと。
これに怒ったイスラム教徒の人たちは各地で抗議デモや暴動を起こし、この本は販売禁止になりました。
この暴動で多数の死者を出します。
そして1989年、当時のイランの最高指導者であるホメイニ師は作者のサルマン・ラシュディと出版に関わった者を殺害するようイスラム教徒に命令を下しました。(ラシュディ殺害の懸賞金は580万ドルだったそうです)
その結果、各国の翻訳などで出版に関与した人が40人ほど殺されてしまうという大事件に発展してしまいます。
作者のラシュディ本人はイギリス政府の保護下におかれ暗殺を免れました。
殺害された人の中に日本人が1人いた
ですが、この殺された人の中には日本人が1名含まれていました。
彼の名は五十嵐一(いがらし ひとし 当時44歳)。
この本の日本語版の翻訳を担当した筑波大学助教授の人です。
熱心なイスラーム研究者であった彼は1991年7月12日、筑波大学の構内で何者かに刺殺され遺体で発見されました。
第一発見者は大学の清掃員の人であり、首が切断寸前まで切られていてあたりは血の海になっていたといいます。
当時のイスラムの新聞は五十嵐殺害を朗報と伝えました

画像:Wikipedia
事件が起きた筑波大学筑波キャンパス
事件の3日後にイランの反政府組織が犯行声明を出し日本に衝撃を与えましたが、犯人は未だに捕まっていません。
その後どうなったか
2006年に時効を迎え謎の未解決事件となりました。(イスラム諸国との関係悪化を避けるため捜査は打ち切られたといいます)
首を切断寸前まで切りつける残忍な犯行だったので犯人は外国人と推測されましたが、国外に逃亡したのではないかと考えられており、捜査は難航してしまいました、
遺体を解剖した茨城県警によると深夜から朝方にかけて殺害された可能性が高いといいます。
つまり第三者に見られないようにキャンパスが閉鎖された時間を狙ったということです。
殺害された場所がエレベーターホールという人の多いところだってので、見せしめでは?との意見もあります。
また現場の足跡から犯人が履いていた中国製の靴を発見しますが、これも犯人特定には結びつきませんでした。