
以前、テレビ番組で紹介されたことのある三毛別羆事件(さんけべつひぐまじけん)。
初めてこの事件を知ったときは衝撃的でした。
今からおよそ100年前に北海道で体重340kg、体長2.7mのエゾヒグマが民家を襲い、7人が死亡、3人が重軽傷を負った事件。
今回はこの事件をまとめてみました。
Contents
三毛別羆事件の流れ
いろいろな人物が出てきて結構複雑なんですが、わかりやすいように流れをまとめたので下まで読んでみてください。
3度にわたり熊が姿を現す
事件となった北海道三毛別六線沢は北海道の北部左に位置する集落です。
村人が異変を感じたのは1915年(大正4年)11月。三度にわたり巨大なヒグマが姿を現します。
その時の被害は特にはなかったが、2人のマタギ(狩人)によりヒグマを撃ってみたものの仕留めるには至らなかった。
時期は冬だったため「熊の体が巨大すぎて冬眠できる穴を見つけられず、食糧を求めて来たのでは?」と彼らは推測しました。
最初の犠牲者は6才の男の子と成人女性だった
旦那さんが仕事のため外で作業していた間、留守にしていた6才の少年幹雄と34歳の女性マユが最初の犠牲者となりました。
第一発見者の長松要吉が囲炉裏の端に座っていた幹雄(みきお:犠牲者)を発見。
顔下に付着した血の塊と、喉の傷を見つけ驚いたという。
この時点ですでに死んでいました。
マユの遺体らしきものは発見できなかったが、クマに抵抗した痕跡が残っていた。
柄が折れた血に染まった斧が見つかり、あたりは血の跡があったといいます。(斧を振りまわして抵抗したと思われる)
マユの遺体を発見
村の男達はマユの遺体を見つけるため30人のチームを結成しました。
捜索中にヒグマと遭遇し、銃で発砲したものの結果は出なく、ヒグマは逃走しました。
さらに辺りを捜索したところ、脚と頭部の一部しか残されていないマユの遺体を発見。
幹雄とマユの通夜が営なわれたが、お酒を飲んでいた午後8時半にまたもやヒグマが乱入。
棺桶がひっくり返されたりしたが、犠牲者は出ませんでした。
避難先でさらに犠牲者が出る
そして近くの別の家に避難(家には10人)。
その20分後、食事の準備している時に窓を破ってヒグマが侵入してきました。
頭部をかじられつつも逃げ出すことに成功した女性もいたが、妊婦、男性2人の計3人が犠牲になる。
妊婦は「腹破らんでくれ」「のど喰って殺せ」と胎児の命だけは助けようとしたが、上半身から食われてしまいました。
中からは妊婦のうめき声と、肉&骨を噛み砕く音が聞こえていたという。
逃げて助かった村人が家の中に戻ると、肩や胸に傷を負った男児を発見。(食べられて骨だけになっていた部分もあったという)
彼はしきりに水を求めていたが、20分後に息絶えました。
※ここまでで犠牲者は胎児を含めて7名
北海道庁は対策をとる
討伐隊の組織が結成されついにヒグマを捕える本格的な準備に入る。
ヒグマの捕まえた獲物を再度取り戻そうとする習性を利用して、犠牲者の遺体を餌にヒグマをおびき寄せるという作戦が行われました。
しかし、ヒグマは現れたが、家の周りをまわって引き返してしまいました。(作戦失敗)
救世主が現れる(伝説の猟師 山本兵吉)
この付近には山本兵吉という熊撃ちがいました。(包丁1本でヒグマを倒したことのある実力者)
彼は三毛別付近に来たところ、この残酷な事件を耳にし、単独で山に入りました。
そして、木につかまり体を休めていたヒグマを発見し、銃を構える。
1発目は心臓部に命中したが、ヒグマは起き上がって兵吉をにらみつけた。
2発目は頭部を貫通したという。
こうして7人を食い殺したヒグマは、命を絶たれました。
ヒグマ殺害後どうなった?
ヒグマ捕獲後、解体してみたところ、胃から人間の骨や赤い肌着などが出てきたという。
村人は殺された犠牲者の供養のためにヒグマを調理して食べたそうだが、堅くて筋があり美味しくはなかったでそうです。
そして、生涯で300頭のヒグマを倒した山本兵吉は1950年に92歳で亡くなりました。
事件の現場は今どうなってる?
事件が起こった現地は今現在、道民によって当時を再現した「三毛別羆事件復元現地」になっています。
そこでは当時の家屋が再現されており、犠牲者の慰霊碑、民家に襲いかかるヒグマの像などがあります。

参照:北海道苫前町ホームページ
今にもヒグマが出現しそうな雰囲気があり、訪れる人々にとってスリルを感じる隠れた人気の観光スポットとなっているとのこと。

参照:Wikipedia
こんな巨体の熊が襲い掛かってきたら太刀打ちできないでしょうね。

参照:Wikipedia
こちらは亡くなった犠牲者の慰霊碑です。安らかに眠っていただきたい。