
時代をさかのぼるにつれて処刑法というのは残酷になっていきます。
現代ではできるだけ痛みを伴わない処刑があたりまえですが、かつての日本にはノコギリで体を切断する残酷な処刑法が存在していました。
今回のテーマは「ノコギリ挽き」です。
織田信長も行ったノコギリ挽き
残酷な処刑法が数々考案されていた戦国時代で、もっとも残酷なものは鋸挽き(のこぎりびき)です。
これを行ったのは織田信長。文字通り罪人の体をノコギリで切り落とす刑罰です。
刀での斬首刑は苦痛を伴うことなく一瞬で死に至らしめることができますが、ノコギリ挽きは死ぬまでの時間が長いためどれほど激痛なのかは簡単に想像できると思います。
国によってノコギリ挽きのやり方は違うのですが、織田信長はどのように罪人を処刑したのかというと、まず首から下の胴体を地中に埋めて首だけが出ている状態にします。次に「自由に首を切ってよい」という立札が立てられ、それを見た通行人がノコギリで少しずつ切っていくというものです。
使用したノコギリは竹でできているものでした。
なぜ竹のノコギリを使ったのかというと、切れ味が悪いため少しでも長く苦痛を味わせることができると考えたからです。
当時のノコギリ挽きの様子です。首から下が埋められていて左に立札があります。
この残酷な刑罰の餌食になったのは織田信長を火縄銃で狙撃した杉谷善住坊(すぎたに ぜんじゅぼう)という忍者でした。
狙いが外れて捕まえられた杉谷はノコギリ挽きの刑に処されます。
通行人に少しずつ首を切られて死ぬまで7日間かかり、この世の地獄を味わいました。
外国のノコギリ挽きはさらに残酷だった
この鋸挽きの刑罰は古代のヨーロッパでも行われていました。
日本と違うところは罪人を逆さに吊るして股間からのこぎりを入れるというもの。
考えただけで恐ろしいですが、肉を挽かれ激痛を伴い長時間にわたり死に至らしめるという屈辱的なやり方でした。

画像:Wikipedia
ヨーロッパの鋸挽きの様子です。
逆さで股からノコギリで挽かれるため出血が少なく意識が無くなるまでの時間が長くなり、より苦痛を味わせることができたそうです。
ノコギリが内蔵(へそあたり)に達するまで意識があるとのこと。
古代中国では腰斬刑(ようざんけい)という刑罰が存在していたのですが、この場合は処刑人を横に寝かせて腰あたりに縦にノコギリを入れ体を真っ二つにするというものです。
胴体を切断されても10分ほどは意識が続き最後は死に至ります。ただ、この激痛の10分間は想像を絶するものであるため重罪人のみに対して執行されました。

画像:Wikipedia
腰斬刑の様子です。縦にノコギリを入れられている様子が描かれています。
斬首刑の場合は即死ですが、この刑は切断された後もしばらく生きているため、離れた自分の下半身を見ることができるという精神的にも屈辱的でした。
男性器を切除される宮刑(おまけ)
古代の中国には変わった刑罰が存在していました。
それは、罪人の男性器を切り取る、つまり去勢の刑です。
刑を執行した後に宮廷で強制労働をさせたため別名「宮刑」と呼ばれています。
当時は医療が発展していない環境だったので切除後に陰部から異臭がしたり、尿でただれたりして執行後も相当な苦痛がありました。(死亡する人もいたそうです)また子孫繁栄を重んじる中国での去勢の刑は男性にとっては屈辱的だったと言われています。
ですが、この宮刑は日本にも存在していたという説があります。
1207年に、浄土宗の祖である法然(ほうねん)の弟子2人が後鳥羽天皇の女官と性的関係を持った容疑で捕まり陰茎を切除されたとの記録があります。
また、当時の法典にも「男は陰部を切り取り、女は膣口を縫って塞ぐ」といった宮刑の記述があったことも事実です。
女性の去勢刑も残酷です。膣口を塞ぐと子供も産めなくなるため、女性としてはこれ以上の苦痛はないのではと思います。
日本で強姦事件が起こると「犯人を去勢しろ!」という意見をよく見ますが、それが実際に刑罰として存在していたと考えると恐ろしいです。