津山30人殺しとは何だったのか
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このサイトに訪れた人はすでに津山事件をご存じの人が多いと思います。

津山事件とは、1938年(昭和13年)岡山県の集落で都井睦雄(当時21歳)という人物が起こした30人殺人事件

なぜ30人もの村人を殺さなければいけなかったのか。

事件の真相に迫りたいと思います。

 

事件発生前の流れ

1917年、岡山県と鳥取県の県境にある倉見という集落で都井睦雄(といむつお)は生まれ、睦雄は大地主である祖父の跡継ぎとして大切に親から育てられた。

しかし、悲劇は突然起こりました。地主の当主である祖父、1番目の後継者であった父、かわいがってくれた母が結核で死亡。

睦雄一家は呪われた家系であると判断され、土地相続の権利を祖父の弟に奪われ、わずかなお金を与えられて睦雄(当時3歳)と姉と義理の祖父は倉見を追い出された。

 

そして行きついた場所は貝尾集落。(事件の現場)

3人にはなじめない環境だった。

 

睦雄が10代のころ肺病を患い、徴兵検査で補欠になり、兵役に就くことができなかったため、夜這いの関係を持った女性たちに病気や兵役のことを理由として関係を拒絶され、さらには笑いものにされ、住民からも差別的な扱いをされていきました。

このような仕打ちによっては睦雄の不満は限界に達する。

 

 

事件発生

 

1937年、睦雄は知人を通じて猟銃を購入したり、刀愛好家から日本刀をもらったりし、凶器類を揃えました。

このころすでに睦雄の怒りと不満は限界。

 

そして事件は発生しました。

 

1938年(昭和13年)5月21日未明、猟銃と日本刀で武装した睦雄は貝尾の集落の住民の3分の1にあたる30人を殺害。

睦雄自身も近く山へ逃げ込み銃で心臓を打ち抜いて自殺。

殺害された人のほとんどが睦雄の悪口を言ったりからかったり、つまり差別をした人である。

 

犯行の準備は周到でした。

 

睦雄は犯行数日前に姉や数名に遺書を書いていたこと、警察官の駐在所までの距離を計るために何度も往復していたこと。(救助を求める人が到着する時間を把握していた)

そして当日の午後5時頃、睦雄は電柱に登り電線を切断して全面的に停電させていました。(明かりを点けられると自分が特定されてしまう恐れがあったのか)

 

 

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事件後どうなったか(睦雄の墓地の画像あり)

睦雄の遺体は貝尾から倉見(生まれた場所)へ運ばれ、そこで埋葬されました。都井家の墓地の片隅で静かに眠っています。

 

これが犯人の都井睦雄の墓です。

手入れはされていなく草に覆われているが、きちんと花が刺さっているのがわかります。

誰かが命日に手むけてくれたのだろうか。

 

 

 

これは睦雄の倉見の実家。睦雄はここで3歳直前まで過ごしました。

2014年まで廃屋となって残っていたが、今は老朽化により取り壊されているそうです。

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