江戸時代には女性を風俗嬢にする刑罰があった【奴の刑罰】
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今現代では繁華街を歩けばそこら中に風俗店を見かけると思いますが、知っての通り江戸時代にも風俗が存在しました。

それは遊郭(ゆうかく)と呼ばれるもので、代表的なのは吉原遊郭(東京都台東区)です。

遊郭で働く女性を遊女といいますが、実は江戸時代には罪を犯した女性を強制的に遊女にするという刑罰がありました。

今回のテーマは江戸時代の風俗です。

 

女性を遊女にする奴の刑罰

 

奴(やっこ)の刑罰とは何か。

江戸時代の日本では夫が犯罪を犯すと妻や子供にまで刑罰が下されていました。

家族などに刑罰が及ぼすことを連座といい、妻を対象としたのを奴(やっこ)といいます。

奴の刑が確定した女性はいったん牢屋に入れられます。

親族や友人などの身元引受人が現れれば解放されるのですが、来るのは働き手を求める武家や名家。

ですが、それは運がいい時であり、女性を受け取りに来たのはほとんど遊郭の使いでした。

つまり現在でいうと、風俗店のスタッフが罪人の女をもらいに来るということです。

 

江戸時代では人身売買は普通に行われていて、奴隷的な扱いが存在していたといいます。

 

遊郭からすれば無料で人材を増やすことができるため絶好の機会でした。

しかも奴の女性には賃金を払う必要が無く、過酷な労働でも許されたといいます。

つまり遊郭側からするれ好都合な働き手でした。

このように強制的に遊郭に送られた女性は奴女郎(やっこじょろう)と言われ、低身分の扱いを受けていました。

 

通常の遊女では20代後半で価値が下がり仕事を辞めることができましたが、奴あがりで遊女になった女性には解放される期限がなかったといいます。

毎日のように性の奴隷のような扱いを受けるわけなので、恐ろしい刑罰だったと考えられます。

 

※のちに幕府は人身売買そのものを禁止にし、奴隷身分にさせるような制度も廃止にしました。

 

江戸時代の遊郭とはどのようなものだったのか

江戸時代の風俗街である遊郭(ゆうかく)とはどのようなものだったのか。

遊郭という「売春宿」は国に認められているエリアのみで営業が可能であり、この営業が許可されたエリアのことを「遊郭」と言います。

代表的なのは東京都台東区に存在した吉原遊郭です。

遊郭は最盛期には全国に20ヶ所あったといいます。

 

画像:Wikipedia

当時の吉原遊郭の画像です。

 

 

Q.実際にどんなサービスを行っていたのか?現在の風俗と同じなのか?

 

一緒にお風呂に入って体を流してくれるだけの人や、接待はするけど体は売らない人など、さらには夜の相手までする遊女もいました。

またお店の前で客引きを担当するものや、遊女の世話をする女性もいて役割は分担されていたそうです。

もちろん遊女なので宴会の席で三味線を弾いたり踊ったりもしました。

 

Q.遊女には位があった?

 

太夫(たゆう)、花魁(おいらん)といったように遊女にも位があり、ただ単に見た目が美しいだけではなく、三味線や踊り、和歌、茶道といった芸が優れていないと位はあがりませんでした。

芸達者になり位が上がれば上がるほどお客さんが落とす金額も上がっていき、最終的には花魁になります。(当時、花魁を目指さない遊女はほとんどいなかったという)

そういったランクの高い女性を相手にするにはお客さんも何度もお店に足を運んでようやく一緒に寝ることができました。

人によっては、使った金額は何十万にもなったそうです。

 

画像:Wikipedia

内側から見た遊女の姿です。このように顔を見せて客待ちをしていました。

 

 

花魁のような身分の高い遊女と寝るには下記の三段階「初会~馴染み」を通過しないといけませんでした。

花魁と寝るまでの3段階
1回目の入店「初会」⇒花魁はお酒の場でも客と会話することはなく目も合わせてくれない。
2回目の入店「裏」⇒「初回」とほぼ変わらず。花魁は名前も呼んでくれないが少し近くに寄ってくれる。
3回目の入店「馴染み」⇒馴染み金というご祝儀のお金を払い、ようやく会話ができ一夜を共にすることができる。

この3回目の「馴染み」を終えるとようやく花魁は心を打ち明けてくれて、夜には体を許してくれますが、自分以外の遊女と寝ることを浮気とみなします。

バレてしまった客はお金を払って許してもらったとのこと。

つまり自分以外の遊女にお金を使うな、私にお金を落としなさい、ということです。

 

現在の風俗はお金さえ払えばそれに応じたサービスが受けれると思いますが、江戸時代の花魁はプライドが高かったため3回目でようやく自分と寝ることを許したという。

ですが、普通の位の遊女であれば初対面のその日に寝ることはできたそうですが、それと比べると高級遊女は敷居が高かったということです。

 

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現在の吉原遊郭はどうなってるのか

江戸時代に繁盛した吉原遊郭は現在どうなっているのかというと、日本最大のソープランド街として今も名残をとどめています。

場所は東京都台東区。(最寄駅は東京メトロ日比谷線の三ノ輪駅もしくは南千住駅)

現在でもおよそ140店舗があるといいます。

 

画像:Wikipedia

吉原の角町通りの画像です。

画像を見る限り少し怪しげな雰囲気があります。スナックと勘違いして入ってしまう客がいそうですが。

 

実はこの吉原というエリアは1911年(明治44年)に火災に見舞われました。

「吉原大火」と言われるこの火事、遊郭の一室から出火しおよそ6500戸が焼失したそうです。

 

復興しても再度風俗街になるのはなぜだろうかと思ってしまいますが、ここの昔からの名残りは永遠に続くものなのでしょう。

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